温かいお茶で一息つきながら、ふと考えていました。

英語という言語の心に触れるとき、私はよく「カメラワーク」という比喩を使います。

英語の語順は、常に「左から右」へと流れていきます。

当たり前のことのようですが、日本語を母語とする私たちが英語を理解しようとするとき、つい文末まで視線を飛ばして「後ろから訳し下ろす」という、不自然なカメラの逆回し(返り読み)をしてしまいがちです。

しかし、本来の英語の呼吸は、視界が左から右へとパンしていくように、「現れた順に、そのままの世界を受け入れる」もの。
この視点を持つと、文法事項として捉えがちな「不定詞」と「動名詞」の違いも、驚くほど立体的に見えてきます。

【不定詞は「望遠レンズ」】

不定詞の to は、いわば矢印(→)です。
カメラがこれから向かう先、まだ手元にはないけれど、確かにそこにある「目的地」を捉えようとしています。

未来に向かってピントを合わせにいく、躍動的なカメラワーク。
それが不定詞の持つ「未完了」や「未来」のニュアンスの正体です。

【動名詞は「モニター再生」】

一方で、動名詞(-ing)はどうでしょうか。

これは「左から右」へと流れる時間の中で、すでに撮り終えたフィルムや、
今まさに目の前で展開している情景を、頭の中のモニターで映し出している状態。
つまり「イベントの再現」です。

  • Stop talking (今まさに流れている「おしゃべり」の映像を止める)
  • Remember meeting him (過去に撮った「彼に会った」シーンをリプレイする)

このように「手元のモニターで映像を再生(再現)している」と捉えれば、
なぜ動名詞が「具体的・慣習的・過去的」な性質を帯びるのかが、
理屈ではなくイメージとして繋がります。

英語を教えるということは、単にルールを教えることではなく、
学生の中にこの「カメラ」を据え、
彼ら自身の視点で世界を捉え直す土台を作ることなのかもしれません。

お茶が冷める頃には、また新しい視点が見えてきそうです。